僕の懺悔

これは僕が今までを書く場所。バカなこと、失敗談、辛かったこと、様々なことを書く。何故かって?友達に自伝があったら買うって言われたからだ。

僕がいじめました2【人々の答え】

Hと席が離れてから僕は彼女と関わることはなくなった


彼女にたいするいじめはなくなった


表面上では…


というのも、彼女に必要に関わるひとがいなくなった。


つまり、みんな彼女がただのクラスメイトとなったのだ。


例えばグループ学習のときにだけ話す女の子のようなものだ


今回、男4人がいじめの主犯格として先生に呼ばれたけれど、


実際のところ女子の方が彼女と関わらないようにしている人が多い


おそらく、彼女も気づいていたことだろう


だけど、女子の世界は僕、男にはわからない。


おそらく、彼女自身は女子をイジメの主犯にはできない。


そして、女子のいじめは陰湿なのだ。

イジメの明確な理由がみつけづらい


僕ら普段から元気のいい男子ならいじめの理由が明確だし、やるやつは露骨だからだ。


だから、僕らはいじめの主犯格にするいい役になったのだろう。


確かに、僕は彼女を擁護することはなかった。


けれど、彼らクラスメイトと同じレッテルを貼られた僕は


今後、顧問の先生や副顧問の先生の対話が少し

様子が変わった。


僕は先生達からの信頼を失ったのだ


なぜだ。


僕はそこらにいるクラスの彼女に無関心な男子

だったのに、Hと一緒にいたことによって

いじめの主犯格された。



確かに、Hを止めることはしなかった。

けれど、彼女をけなすこともしてない。


そう、ただの関心のないクラスメイトなんだ。


悔しいというか辛い


彼女によって僕の信頼は失った




いじめってなんなんだ?







おわり。







         後日談


僕は先生らの信頼を失った。けれど、僕のことを知っている周りの友達や担任の先生は僕がそこまで悪いことをやっていないことをわかっていた。


担任の先生も彼女がどのような人間なのかもわかっていたし、僕がどのような人間なのかも分かっていたからである。


ただ、マスコミの報道のように人はその記事や聞いたことだけで人を判断してしまう。

自分で調べもせず、自分の目で確かめもせずに

物事を決めつけてしまう。

それは人の課題でありつつ、しょうがないことだと思う。


だから、なぜ僕は彼女に選ばれたのか聞きたい。


今回、いじめを被害者でない方からの視点で描いた。実際の僕の体験談であるが。


いじめは起こってはならいものである。


ただ、


「何があっても、いじめはやる方が悪い」


は本当に正解なのか?


それはもっと具体的な情報が必要だ。


社会では罪を犯したものには罰が与えられる。


それが、学生の中ではいじめに変えられるのかもしれない


今まで、僕のブログの1つ目のイジメに対しても

明らかに虐められた彼が悪い。

これははっきり言える。


主犯も彼に面と向かって嫌なことを伝えていた。

それでも彼が変わらなかったため

陰湿な嫌がらせをしてしまった。


今回のいじめをしたHら3人は完全に悪い。

なぜなら、彼らは本人に面と向かって嫌なことを伝えるのではなく。


離れたところから隠れてやっていた




クラスメイトみんなに嫌のことをやっている1人がみんなから避けられるのは

一見、理にかなってるのではないだろうか。


なぜ、1人にみんなが我慢しなくてはいけないのだろうか…


我慢せず、その1人に数人が正直な対応すると、


正直者が悪役になる。


なんとも不思議な原理だ。





最後に、


これはイジメの一部であることを肝に銘じて欲しい。


本当に理不尽に虐められている人も世の中には

いる。


辛い思いをしている人も沢山いる。


いじめには本当にいろんなケースがある。


これは他のことにも言える。


だから、ものごとを帰納的に考えてはいけない。




自分で何が真実で何を見るべきなのか


その上でしっかり自分で判断すること





これは僕自身の心にも深く刻んでおきたい


今回は少し感情的になってしまった