僕の懺悔

これは僕が今までを書く場所。バカなこと、失敗談、辛かったこと、様々なことを書く。何故かって?友達に自伝があったら買うって言われたからだ。

僕、サッカー辞めます。その12

1年が終わりに近づいたころ、僕とんでもない間違いをしてしまった


僕は小さい頃からサッカー、


兄、姉は勉強という、子供は勉強かスポーツをやるというのが仕事だった


だから僕は勉強はしなくてもいいものだと思って過ごしてきた


けれど、スポーツをやっていても勉強をしなくてはいけない


隠された罠がスポーツにはあった


1年の期末テストが終わって、結果が返されたある日


僕の点数は右肩下がり、とうとう500点中250点という成績にまでなった


別段、隠してる訳ではないが普段母親にテスト結果を見せない


それを見つけた母親は激怒、久々に怒られた


正直、なぜ怒られたのかはわかってなかった


だって僕はサッカーをやってるんだから勉強なんか出来なくてもいいと思っていたからだ


それからは、塾に通い始めることになった


よくあることだと思うが小学校までは勉強はしなくても点数が取れるもんだ


それがいつのまにか中学校では地の底に追いやられる


塾には同じ中学校の友達がほとんどで


そこで新たな仲間ができてとても楽しかった


ただ、辛かったのは土曜日の塾


夕方5時ごろから8時過ぎまでやるのが本当に面倒だったと覚えてる


サッカーの方では1つ上の先輩の総体に向けて

日々変わらず過ぎていった


僕らは2年になり顧問の先生が変わり

先輩の練習に参加できるようなった。


僕らは先輩方と切磋琢磨し、自分らの代に向けて一生懸命やった。


ここでだけの話しだが、僕は先輩に合わせて力を調節した。


やはり、先輩を立てるためあまり出しゃばることは出来ない。


良い感じにいい勝負をして良い感じに負けたりする


すると、噂ではJの下部組織も大したことがないという噂もあったりしたらしい


けど、それでいい。


6月になり市総体が始まった


その時、僕はまた怪我をしていてせっかくの先輩の試合に出るチャンスを逃してしまった


そして、先輩の時代が終わった


先輩達は涙を流しサッカー部を卒業していった


それから、先輩がいなくなったサッカー部は大きく変わった


1年、2年と合同で練習した。


顧問の先生は以前、柔道部で全国に出た人だったらしく


一生懸命顧問の先生についていった


それから、数日が過ぎた練習中


先生が、僕ともう1人の仲間を呼んだ


次の部長を誰がやるかだった


僕は、先生に聞かれて自分がやると言った


もう1人は納得してくれて、彼は副部長となった


僕は小学校の頃の失敗を繰り返さぬよう、

この仲間を県大会に連れて行くことを誓った





僕、サッカーやめます。その11

生まれたときは、真っ白

それからだんだんと自分色に染まっていく


それが人生だと僕は考える


努力じゃなんともならないこともあり、


何もしていないのにうまくことが運んだりもする


冷静に考えれば当たり前なのかもしれない






僕はやはり顧問先生を好きになれない


顧問の先生に間違えてタメ口を聞いたことがあった。もちろん言い直したのだが


顧問の先生は「今、タメ口聞いたよな?」


僕は「はい、間違えました」


「死ね」


そんな言葉が僕に飛んできて


僕はすみませんでしたと。作り笑いをしたけれど


正直、こいつ正気の沙汰じゃないなと感じてしまった


学校は腐った現実を学ぶ場所かもしれない


僕は顧問の先生に嫌われていた方だけど


先輩にはもっと嫌われていた人がいた


当時、僕は気づかずなかった


その現場にあまりいなかったからだった


ある日、その先輩は練習試合で怪我をした


けれど、先生はその生徒の怪我の看病を一切せず


無視していた。


流石に良くないと思ったキャプテンもこのことに関して怒りママさんに報告


ママさん達は激怒


これを保護者会かなんやらで報告


顧問の先生は他校に移ることになった


これまでのみんなの不満が不信が爆発したのだろう


僕も解放された気がした


それからは参加出来なかった先輩との練習も

僕らは参加できるようになった


部活などスポーツの世界では後輩を鍛えるために一緒に練習するのは当たり前な気がするのだが

僕の中学サッカー部にそれがなくなっていた


そして、それからの顧問の先生はすこし優しくなった気がする


そして、僕はさらに一所懸命やるようになった


ただ、本当に大変なのはこれからだった



つづく






顧問先生の後日談



それから、あの先生は同じ市内の学校に行った。


中学3年のとき、塾の後輩がその中学出身だった


話を聞いてみると、それはやってることは変わってなく


そのキーパーの子の扱いがとても酷くかわいそうだと聞いた


今でもその先生がどこかの顧問をやってると考えると心が痛い


どうにかならないものだろうか

僕、サッカーやめます。その10

中学に入ってはや1ヶ月


僕はまだ部活に入っていなかった

少しサッカーが疲れた

少しの休息が欲しい

そして、遊びにふけていた

僕の親友は先に入っていてなかなか大変そうで心配だった。

クラスの友達で、
サッカーに適した身長と華奢なやつがサッカー部にいて段々とサッカー部に入るのが楽しみになってきた

僕は5月の頃、サッカー部に入った

それと同時に他県のJのスクールにも通い始め、

また、ジムにも通い始めた

4.5月は、なんかふわふわする

とても愛おしい日々だったと今は思う

僕が部活に入ったころ、華奢なクラスメイトはサッカー部を辞めていた

話を聞いてみると

顧問から、誤解からの帰れと言われ、
帰ったら部活を辞めろと言われてやめたらしい

どうにか部活に戻るように頼んだが世の中うまくいかないことの方が多い

それから、はじめての練習試合があった

僕がJチームから来たとう情報は友人らから広がり、顧問のコーチや先輩からの注目選手になった

1年生は先輩の試合終わりに1年どうしでやった

試合は勝つことができ、良いスタートダッシュがきれた

平日は部活をやって、そのあとジムに通う。

そんなアスリートな生活が心地良かった

1つだけ、うまくいかないことがある

顧問の先生だ。

先生はサッカー経験なしの人でいろんな意味で
いい噂を聞かない

若い先生で短気、男女差別が酷くて女子に酷く優しく、嫌いの生徒には無視やキツくあたる

僕の性格もあるのだけれど、他人よりも得意な
ことでも謙虚に肩を並べたつもりで接する。

それが裏腹に大した実力のない人間に威張られることがある。

のちに僕はキャプテンをやることになるのだが、
みんなと肩を並べて歩くキャプテンではなく
背中を見せ引っ張っていくキャプテンの部分も
あって良かったと思ってる

そんな僕は顧問の先生には嫌われる。

というより、サッカーのプレイスタイルが嫌われてたのかもしれない。

普段はどちらつかずだった。若干冷たかったけど
普通にしゃべるときもありだった

日々は流れ、夏明けに親友は部活も学校も来なくなった

全ての彼に対する言動に後悔した。

どうすれば彼とずっと学校でくだらない話が出来たのだろうと今でも思う

それでも、僕は自分の日々を過ごさなくてはいけない

冬になると部活時間は短くなる。

するとボールは使わなくなる。

ランニングだ。これが凄く嫌だった

けど、やるしかない

くたくたに疲れるとジムなんて行く気にならない

帰ってすぐリビングで夜ご飯まで寝る

それが日課になった

しばらくするとジムの下の階にあるゲーセンに通うようになる

いわゆる夜遊びだ。

ジムは行かなくなった。

そんな堕落が僕にしっぺ返しをするとは当時思いもしなかった

つづく