僕の懺悔

これは僕が今までを書く場所。バカなこと、失敗談、辛かったこと、様々なことを書く。何故かって?友達に自伝があったら買うって言われたからだ。

親友が消えたその日から その2【そうゆうところあるよね】

学年もあがり、彼とはまた同じクラスになる。


本当にいつも遊んでいた


3年生になるととうとうクラスは別れてしまった。


少し悲しかったが、新たなクラスで新たな友達ができた。


その友達とはけっこう趣味もあっていて


正直、彼と遊ぶよりもずっと楽しかった


私はインドア派で、彼はアウトドアだったから


外で遊ぶのはけっこう疲れるのが本音


私と新しくできた友達とが楽しくしゃべっているところをみた親友は少しひきつった笑顔で


話しに入ってきた


頑張って話しているのを私は気づくことはなかった


彼は私を誰かにとられたくはなかっただろう。


まるで女の世界だ


だんだんと彼との距離も離れていった


それでも彼は私を親友としてあり続けようとした


正確に言うと、そうではない


サンクコスト効果を知っているだろうか?


例えば、ゲームで課金したらやめられなくなるってことあるだろうか。簡単に言えば1回はじめたものを損を考えてしまいやめることができなくなってしまうこと



だから、彼は私を楽しいであろうが、つまらないであろうが親友として居続けたかったのだろう


たぶん4年くらいの時期から


少しいじわるがあった。


あんまり思いだせないようなことだけど…


別にいじめに発展するようなことではないけれど


私たちの関係は表面上では親友


けど、それにはなにか違和感がある関係だった


4年生にクラブ活動が始まった。


私は新しい友人とマンガクラブに入った


彼はスポーツマンというだけあって


サッカークラブにはいった


私は新しい友達との日々は楽しかった


たまたまそれを見た彼は


5年生になったときマンガクラブに入ってきた


彼自信もマンガやアニメも好きなのは確かだから


もあっただろうけど、おそらく私と他の友人が楽しそうに見えたからだろう。


放課後も私は新しい友人とゲームをやって遊んでいた


一方、彼は習い事などで遊べない日々が多かった


少し好都合だったかもしれない。


あるとき、彼は秘密基地を作りはじめた。


もちろん、私も呼ばれ、彼はしょうがなく私の友人もいれ


秘密基地がはじまった。(秘密基地の話はいつかのブログで書いたので気になったら読んでください)



6年生になって彼と同じクラスになると


それからはまたよく遊んだ。


けど、他の友人と遊んだほうが楽しいのは秘密


それから、クラブは彼に誘われ実験クラブに一緒に入った


卒業も近く、クラブでの活動の写真撮影があった


2列で写真をとるのだが、私と彼は後ろに並んだ


すると、先生は前の列に1人入れると言った


その時、彼はすぐ前列に移った


彼は狡猾だ。


そもそもクラブには4人くらいしか6年生はいなかった


だから、3人前列にくると1人だけ後列になる


彼は後列は先生と2人で写真に写ることになるとすぐに察したのだった


私をおいて彼は他の友達と肩を組んでお得意の作り笑いで
卒業アルバムに載った


私の顔は全く笑っていなかった



つづく…

僕、サッカーやめます。その9【中学生編の始まり】

Jチームの出世コースから外れた、落ちこぼれの僕は
今後どうするか悩んだ


答えは少し時間がかかった。


中学に入ってから2ヶ月くらい過ぎたとき、
部活でやることに決めた。


理由は何だったろうか、


1番の理由はいちからやり直したいという思いだった。


僕がJチームを落ちたことを聞いた地域のサッカーチームはぜひうちへきて欲しいと連絡があった。


けど、正直Jチームから落ちてきた僕を拾ってどうするのって思ったりした。


中学に入った当初は部活では他のことをやり、


習い事でサッカーをやるのもありだった。


部活見学は3つできたので、剣道部と科学部、
そして卓球部を選んだ


どうせサッカーはやるので要らないと考えた


それから、陸上クラブに参加した


親と話し合って中学では体づくりをするために陸上をやったらいいんじゃないかということになって


始めようと思った。


陸上部がないので友人と作ろうと提案した。


それを陸上クラブの先生と相談した。


すると、わざわざ部にしなくてもいいんじゃないかという話で結局作られることはなかった。


そんな寄り道をしながら最後にサッカーを部活でやることにした。


そして、部活では物足りないため部活がない月曜日は往復2000円をかけて他のJのクラブに通いはじめた。


少し遅れた中学サッカーの春が始まった。

僕、サッカーやめます。その8【Jチーム最後の日】

僕がこのJチームに所属する最後の日だった。


僕は涙を流して歩いていた






全日本少年サッカー大会が終った日。


僕たちが負けたJチームの相手のコーチは勝った瞬間にガッツポーズをとっていた


僕らは常にこの相手チームに勝っていたからだ。最後の最後になって勝ったのだから嬉しかったのだろう


試合が終って、仲間のみんなが泣いていた


僕は涙が出なかった


コーチはみんなに言った


「泣くなよ。J(僕)なんて試合すらでれてないんだぞ!」


その言葉を僕は聞きいて一番辛かった。


その日、帰りの車の中は静かだった。


父は一言も話さず、車は家についた。





全日本少年サッカー大会が終って、チームは残り限りのある大会に力を注ぐのと同時にジュアユース(中学でも継続してJに所属するチーム)に上がるためのセレクションを心にかけていた。


僕はというと、正直諦めていた。


また、怪我も多く。


見学していることも多かった。


でも、それが少し楽な気持ちになっていたりもした。


夏も終って秋がきて、冬が過ぎて春がくる


振り替えると小6の全ての大会が個人的にも、チームとしてもあまりぱっとしない結果で終った


負けて仲間は泣いて、僕は悲しい顔だけ作り


何も出来なかった


冷たい風が少し優しくなる頃に、本格的にセレクションが始まった


僕らジュニアは普段の練習などを通して、コーチが決める


それで選ばれなかった人達は、ジュニアユースのセレクションを受ける人達ともう一度試験を受ける。


僕は試験を受けなかった。


別に受けたくなかったわけでなく、怪我をしていたからだった


僕は本当にしょうもない人間だ。


コーチはそんな僕を配慮して1つ上のジュニアユースの
先輩と練習をしてそれで審査すると決めてくれた


僕は消化試合のようにただ一緒に練習をして終えた。


こんなことで僕が受かったら
他のメンバーに説明がつかない、
だって試合はいつもベンチだったから




数日後、結果をコーチと親とで、三者面談というかたちで発表された


もちろん、不合格


わかってた


それでも、コーチは落ちたことに悲観的になるなと言って
ここから努力してプロになる人もいると語る


まあ、そう言うだろうと思いながら


心なしか、ありがとうと僕は思った





それから1ヶ月くらい過ぎた


僕は少し楽しそうにサッカーをチームのみんなとやった。


そして、練習も終わりみんなと練習後の少しくだらない話して笑って


帰る時間きた


僕はまだ居残っている友達に笑顔で手振り駐車場のほうに向かった


友達がいる方向から駐車場へと体の向きが変わったと同時に顔はすぐ下を向いていた


グラウンドの出口に近づいたときだった。


普段、1つ上の学年を指導してたコーチが目の前にいた


僕はすぐ顔を笑顔に戻してありがとうございました


と言って帰ろうとした時、コーチは話しかけてきた


普段、僕とはあまり話さないコーチは


真面目な顔をして、僕に最後の話をした。


正直、何を話していたのか覚えていない



でも、なぜか涙が出そうでしょうがなかった。


本当になぜかわからない


他のだれが僕に励ましの言葉を言ったって体の変化はなかったのに


たまに一緒に試合に同行したり、練習したぐらいなのに


そのコーチの言葉を聞いていると


なんか、辛くて、悔しくて、そして嬉しかった



僕は何とか泣かずに話を聞き終えた。


別れ際、最後に背中をたたかれた


今にでも溢れそうな僕の心が


コーチの最後の手で漏れだした




これは、僕がこのJチームに所属する最後の日だった。


僕は涙を流して歩いていた



コーチはもう僕の後ろを歩いている




車が見えてきた頃、僕は必死に涙を拭いた


そして、僕は父親が待っている車に乗った







つづく