僕の懺悔

これは僕が今までを書く場所。バカなこと、失敗談、辛かったこと、様々なことを書く。何故かって?友達に自伝があったら買うって言われたからだ。

僕、サッカーやめます。その1

題名は変わったけど、内容はサッカーの話


最近高校のころの友達から


今度みんなでサッカーやるために集まるんだけど


来ない?


ってLINEがきた


僕は『サッカーやめました』とだけ連絡した


なぜなら、僕は大学受験を失敗した。


そんで浪人もした


僕の受験失敗談は結構変わってる…


いつか読者さんに聞いて欲しいな、


だって現実の友達に『俺、こんなに頑張ったんだ』って


言っても、なんか惨めでしょうがないんよ


でも、やめた理由はそれだけじゃない…


全てはあのときから…





小学生の僕と僕の父の朝は早い


別に漁師って訳じゃない


覚えてるのはゴーという高速を走る車の音


街灯はまだ白い光を放っていて


芝生は白い衣装を着て出迎えてくれた


微かな意識でボールを蹴って僕は僕のホームグラウンドに来た


公園であり野球場であった


ここで僕の1日が始まる


小学校にはいつも靴下が土だらけで行ってた


こんな生活は小学校六年間続く


正直、朝練はやりたくなかった、凄く眠かった


親に起こされてもトイレにこもって寝たときもあった


小学2年くらいからはランニングもメニューに入って


何で自分だけ子供からこんなことやってるのか


自分はついてない、毎日苦しい、逃げたい、辛かった


その反面、自分の他人との違い識別するものへとなっていった


父は地元でサッカーをやっている場所を見つけるとすぐに僕を参加させた


年上の人ともたくさん戦った


小学三年の終わり、ある転機が訪れる。


セレクションだ


小学四年生からはJリーグの下部組織が始動する


僕はサッカー少年団を数個掛け持ちしていたが、


自分の県にあるJリーグの下部組織にあるセレクションを受けた


手応えはあった、ここだから正直にいうと確実に受かってると


思っていた。


ただ、最終選考では合否は言われず、後に連絡が来るということだった


その日の帰り父は『お前はその日で合否をつけられるほどの圧倒的な実力でおわらせなければいけなかった』


と、ちょっと強引な説教を受けた。


確かに、隣のサッカーの強い県から引っ越してきた僕にとって


この県では自分よりサッカーのうまいものはいないという自信を持っていた自負は消えた


後日、合格の連絡がきて


他の所属していたサッカー少年団はやめなくてはならなくなった


友達がやめて他のチームに行くことは辛かったのに自分がその立場になるのはやるせなかった


ある時、2人の友達にこっそりJチームに受かって行くことを決めたことを話した。


秘密にするように言ったいたけど、一瞬で広まった


余談だか、人を簡単に信用してはいけないと学んだ


コーチに耳に入ると悲しそうだった


急な雨が降って練習を一時中止してます雨宿りした日


コーチは『四年からはその学年のキャプテンをやらせたかった』ところっと僕に言って


僕はただ愛想笑いをするしかなった


それから僕の新たなサッカー生活が始まるのだった


そして、新たな壁は立ちはだかるのだった





あの終りのない朝練の日々を大切にしなかった僕は懺悔する

少年Jは信じて貰えないことを知るin 遠足

小学校2年生のころは、多くの未来への楽しみがある。


小5からは一泊できる自然の家に行ける


友達と泊まりに行けるのは子供の夢


あの頃は早く小5になりたいと願っていたな


小2のときはアスレチック公園に行った


みんなとバスに乗って出かけるのは楽しみだった


あとバスで食べるお菓子もw


僕はこの遠足が最悪な日になるとは思ってもいなかった。


今まで書いていなかったけれど、僕には親友がいた。


これは過去形にする。


いつか読者に聞いて欲しいから、書きたい


けど、もう少しまって欲しい


遠足の話に戻ろう


遠足の前日は親友と話あって同じお菓子を買ってくると約束した。


けど、言葉だけだと中々伝わらないことも多くて、


お互い似ているけど少し違うお菓子を持ってきて笑った


アスレチック公園に着くと、他の学校の生徒や家族もいるから迷惑かけないようにと先生はみんなに言う


荷物を置いて早速遊びに行く


アスレチックは楽しかった


いろいろな遊びをしながら、迷路に入った


子供向けではありがら簡単過ぎるなと思っていると


迷路の壁にアスレチック公園のマークのはいった大きなシールが張ってあった。


少し色褪せて少し剥がれていた。


僕は剥がれた部分をさわりながら「剥がれてる~」


と声に出して言った。


すると、子供を肩車した親子の親が


「いけないんだ~先生に言っちゃおう」


「いや…もとから剥がれてました…」


「うそはいけないよ」


僕はこれは言ってもしょうがないと瞬時に察した


どっちが大人なのか分からない


それからはいつ先生に怒られるか気が気ではなかった


人数確認などで先生のところに何度か行ったけれど、


一向に怒られる気配がない


もしかしたからあの親子はチクってなかったのかと思い始めた


そうしたら、憂鬱な気持ちも晴れ、また楽しくなってきた


(もしかしたら、先生があえて僕に言わなかったのかもしれない)


日が傾きはじめて、僕らは川で遊んだ。


暑かったその日にぴったりな水遊び、遊びに遊びまくった


楽しい時間は流れ星のようにすぐ消えた


帰るためにみな川沿いで着替えはじめる


親友は僕にとって珍しく、着替えをジップロックに入れていた


僕は当時、物珍しさにそこに水を入れてジップを閉めようとした


親友は『あっ、ダメー!』


そこには着替えが入っていた


僕はてっきり袋が2つあって、着替え用と濡れた服ようがあると思っていた


親友は一枚のジップロックで着替えと着ていた服を入れ換えるつもりだったらしい


僕はおもいっきり先生に怒られた。


親友はボタン付きのバスタオルで帰ることになった


付き添いの他の先生は何があったかを僕の担任の先生に聞いて僕を薄目で見た。


僕は子供なから苦笑をかえした


僕は何度も親友に謝った、親友は特に怒ってなかった


でも、なんでだろう


今になってもあのときをやり直したくなる


僕は謝ったからってなんとかならない過去があることを学んだ





僕は親友に懺悔する

少年、サッカーの記憶~失くなった2000円の行方と小2の僕は合宿で眠れない~

小学2年生のとき、


引っ越し先のサッカーチームで三泊四日の合宿が夏にあった。


確か人生での習い事でのお泊まりは初めてだった気もする


早朝、ボストンバッグほどの大荷物をもって車で10分ほどのサッカースクールに向かった


サッカーコートの前にはブルルルル鈍い音をたてながら


子供たちの迎え入れるバスとコーチがいる


実は、合宿は3・4年の合宿で、


現代語でいう意識高い系の子供の親は2年から行かせる


僕の親もその1人で他にも何人かいる


そんな同年代や1つ年上の友達たちの朝が早い。


元気にバス前の道路で鬼ごっこ


みんながはしゃいでる時に、1人出来上がってないテンションで入るのは結構恥ずかしいのもがあった


出発となれば、みんなバスに乗り込み仲間の中には


朝ごはんをバスでたべるやつ


二度寝をバスで始めるやつ


サッカーの合宿でありながら、やっぱり遠足気分


それをコーチに怒られるのが今になってみたらまたいい


どこに向かったなんてどうでもいい、ただ遠くに来た


それが少年には強く心を陶酔させる


宿舎に着けばどんな部屋、誰と同じ部屋になるのか


それ以外は興味なかった


なぜだろう、サッカーの合宿はいつも年期の入った宿舎なんだよな


大人になった僕は、逆にそんな宿を願ってしまうのだが


1日目は午後に軽く運動して終わるのが定番


みんなで貸し切り状態の大浴場に行って、


体をあらって


泳がない程度に泳ぐ、これが懐かしい


部屋に戻るときには誰かの白のブリーフが廊下に落ちているのはめちゃくちゃ笑った


夕食後は小さなゲームセンターでゾンビを倒し、とりあえず少しお土産も買った


面白い奴がいて、ゲームセンターの両替機で持ってきたお小遣いを全て10円玉変えていた。


ギザ10が欲しかったらしい


両替機の10円玉が無くなり、管理人のおじちゃんがくると10円玉が無くなっていることに首を傾げていた


事情を知っている僕は1人で笑っていた


2日目になると練習が始まり、午後からの大会の準備もあった。


合宿先は山の中だったので天気が変わりやすい。


スポーツやってる人は分かると思うけど、


あのスパイクまでびしょ濡れになっる不快感はなんとも言えない


全てが終わり、宿舎に戻り夕食を終え


部屋に戻っり財布を開けた、


すると、お小遣いの2000円が無くなっていた


部屋の友達は誰も知らないらしく


僕はコーチのところにいって現状を伝えた


コーチは2000円をくれると言ってくれたが


純粋な僕は親から言われていた人から借りたり貰ったりするなという約束を守り


コーチからも貰わなかった


それからの4日間は地獄だった、


みんながジュースを買ったり、子供が好むアクセサリーを買ったりしてるのが羨ましくてたまらない


そんな、楽しく、苦い経験を貰った初めての合宿だった


今思えば、部屋の誰かが盗んだのだと簡単に想像ができる


時代が時代だったし、サッカーをやりに来ているのだから


あまりコーチも深く詮索はしなかった


子供の教育も踏まえたらやるべきだったね


誰が僕に懺悔をしているだろうか?