僕の懺悔

これは僕が今までを書く場所。バカなこと、失敗談、辛かったこと、様々なことを書く。何故かって?友達に自伝があったら買うって言われたからだ。

僕、サッカーやめます。その8【Jチーム最後の日】

僕がこのJチームに所属する最後の日だった。


僕は涙を流して歩いていた






全日本少年サッカー大会が終った日。


僕たちが負けたJチームの相手のコーチは勝った瞬間にガッツポーズをとっていた


僕らは常にこの相手チームに勝っていたからだ。最後の最後になって勝ったのだから嬉しかったのだろう


試合が終って、仲間のみんなが泣いていた


僕は涙が出なかった


コーチはみんなに言った


「泣くなよ。J(僕)なんて試合すらでれてないんだぞ!」


その言葉を僕は聞きいて一番辛かった。


その日、帰りの車の中は静かだった。


父は一言も話さず、車は家についた。





全日本少年サッカー大会が終って、チームは残り限りのある大会に力を注ぐのと同時にジュアユース(中学でも継続してJに所属するチーム)に上がるためのセレクションを心にかけていた。


僕はというと、正直諦めていた。


また、怪我も多く。


見学していることも多かった。


でも、それが少し楽な気持ちになっていたりもした。


夏も終って秋がきて、冬が過ぎて春がくる


振り替えると小6の全ての大会が個人的にも、チームとしてもあまりぱっとしない結果で終った


負けて仲間は泣いて、僕は悲しい顔だけ作り


何も出来なかった


冷たい風が少し優しくなる頃に、本格的にセレクションが始まった


僕らジュニアは普段の練習などを通して、コーチが決める


それで選ばれなかった人達は、ジュニアユースのセレクションを受ける人達ともう一度試験を受ける。


僕は試験を受けなかった。


別に受けたくなかったわけでなく、怪我をしていたからだった


僕は本当にしょうもない人間だ。


コーチはそんな僕を配慮して1つ上のジュニアユースの
先輩と練習をしてそれで審査すると決めてくれた


僕は消化試合のようにただ一緒に練習をして終えた。


こんなことで僕が受かったら
他のメンバーに説明がつかない、
だって試合はいつもベンチだったから




数日後、結果をコーチと親とで、三者面談というかたちで発表された


もちろん、不合格


わかってた


それでも、コーチは落ちたことに悲観的になるなと言って
ここから努力してプロになる人もいると語る


まあ、そう言うだろうと思いながら


心なしか、ありがとうと僕は思った





それから1ヶ月くらい過ぎた


僕は少し楽しそうにサッカーをチームのみんなとやった。


そして、練習も終わりみんなと練習後の少しくだらない話して笑って


帰る時間きた


僕はまだ居残っている友達に笑顔で手振り駐車場のほうに向かった


友達がいる方向から駐車場へと体の向きが変わったと同時に顔はすぐ下を向いていた


グラウンドの出口に近づいたときだった。


普段、1つ上の学年を指導してたコーチが目の前にいた


僕はすぐ顔を笑顔に戻してありがとうございました


と言って帰ろうとした時、コーチは話しかけてきた


普段、僕とはあまり話さないコーチは


真面目な顔をして、僕に最後の話をした。


正直、何を話していたのか覚えていない



でも、なぜか涙が出そうでしょうがなかった。


本当になぜかわからない


他のだれが僕に励ましの言葉を言ったって体の変化はなかったのに


たまに一緒に試合に同行したり、練習したぐらいなのに


そのコーチの言葉を聞いていると


なんか、辛くて、悔しくて、そして嬉しかった



僕は何とか泣かずに話を聞き終えた。


別れ際、最後に背中をたたかれた


今にでも溢れそうな僕の心が


コーチの最後の手で漏れだした




これは、僕がこのJチームに所属する最後の日だった。


僕は涙を流して歩いていた



コーチはもう僕の後ろを歩いている




車が見えてきた頃、僕は必死に涙を拭いた


そして、僕は父親が待っている車に乗った







つづく